ODAGIRIENNE bis

オダギリジョーに魅せられて

映画感想

ODAGIRIENNE(オダギリエンヌ)とはフランス語で「オダギリ専門家、研究家、ファンの女性」という意味である。フランス語の読み方の規則に従えば、このスペルだと実は「オダジリエンヌ」という発音になってしまい、オダギリエンヌと読ませるためには、ODAGUIRIENNEにしないといけないのだが、そのへんはODAGIRIのスペルを崩したくないということで勘弁してもらおう。

『サタデー・フィクション』鑑賞(ネタバレあり)

監督:ロウ・イエ(婁燁)
プロデューサー、脚本:マー・インリー(馬英力)
出演:コン・リー(鞏俐) マーク・チャオ(趙又廷)  オダギリジョー  パスカル・グレゴリー  トム・ヴラシア  ホァン・シャンリー(黄湘麗)  中島歩  ワン・チュアンジュン(王傳君)  チャン・ソンウェン(張頌文)

2019年/中国/中国語・英語・フランス語・日本語
原題:蘭心大劇院/英題:SATURDAY FICTION
IMG_9467
久しぶりに映画らしい映画を観た気がする。何をもって「映画らしい映画」と呼ぶかについては考え方の個人差が大きいと思うし、一方どんな映画でも映画だというのも真理だとは思うのだけれど、舞台挨拶でオダギリが言った通り、まさに劇場で観るべき映画、大きなスクリーンで温度や湿度を感じるべき映画なのだと思えた。

本来なら2019年か2020年に日本公開されるはずだった作品。ずいぶん時間が経ってしまったが、ちゃんと公開されたことは喜ばしい。けれども世界がコロナ禍を経験し、ウクライナをめぐる問題、パレスチナをめぐる問題のただ中にある今、第二次大戦前夜の話が、単なる過去の歴史の一コマとは捉えられなくなってきていて、現在進行形の戦争が確実に存在することと考え合わせると複雑な気持ちにもなる。

物語の舞台となる「租界」についてはある程度の予備知識が必要だ。そして第二次世界大戦の引き金となった真珠湾攻撃へ至る連合国側と枢軸国側の対立構造や情報合戦についても知っておけば理解は深まり、描かれる緊迫感が更に実感を伴って迫ってくるだろう。そいういう意味では、映画パンフレット(1,100円と高い!)を先に購入して熟読するのもよいかもしれない。

スパイ映画と言ってしまえば確かにそうだが、欧米のそれとはまったく異質のアジア特有の湿度がモノクロ映像から伝わってくる。ロウ・イエ監督作品は雨が特徴的だと言われるが、今作でも雨が印象的だ。と同時に「血」の表情も凄い。モノクロだからもちろん血は赤くないが、脳内でどす黒い赤色に変換される。これが迫力なのだ。

音も印象的だ。人の足音、階段を上る音、やけにどの音も大きく響く。そして中島歩さんが舞台挨拶で話してくれた銃声が確かに轟音だ。劇伴をつけないことに決めたから他の音を大きくしたのか、様々な音を大きくしたために劇伴はいらないという結論に至ったのかどちらだろう。いずれにせよ、音楽をつけない自然音や生活音だけの静謐な映画ではない。むしろ様々な音が非常に雄弁で、ある意味では音楽の代わりもしているといった印象だ。

中国語、英語、フランス語、日本語で展開するシーンを次々と登場させる編集がとてもよかった。各陣営の思惑が上海租界の建築物を舞台に入り乱れ、いかにも「魔都」と呼ぶにふさわしい時代の雰囲気を作り上げている。

物語の展開は、実際の会話なのか芝居の中での会話なのか最初ごっちゃになってとまどった。少し経つと、そうか、芝居の台詞の場合は字幕が “ ” で囲まれるのかと気づいた。芝居の台詞は中国語だから、中国で公開される場合は字幕がつかないはずなので、実際なのか芝居なのかわかりにくいだろうなと思った。けれども、芝居の台詞は現実の出来事と呼応しており、境目が曖昧なのも意図的なものだろうと感じられる。

実力のあるキャストが集まっただけのことはあり、演技は誰もが素晴らしい。コン・リーの存在感はさすがのひと言である。女優(スパイでもある)なのに綺麗な服を着ているわけでも、ヘアスタイルをビシッときめているわけでもない。アクションシーンでも格好つけた身体の動きは一切ない。とてもとても自然なのでドキュメンタリーを見ているのかとさえ思う。でも素敵だ。

男優陣はみな当時の服装がよく似合う。オダギリも中島くんもチェスターコート姿がカッコいい。そういえばお二人とも丸顔で目が細いという日本人特有の風貌ではないので、日本軍とはいえ、無国籍感が漂う。日本軍の兵士たちが登場するシーンでは、この二人との顔の造作の差に可笑しくなってしまった。

中島歩くんは素晴らしく良かった。彼は『水曜日が消えた』(2020年)での演技が印象的なのだが、こんなにハードボイルドな役がしっくりくるとは想像していなかった。声の調子からして武闘派の荒々しさが出ている。古谷が怪我をしてベッドにいるときに、危険を察知し古谷を護って銃をぶっ放す一連のシーンがカッコいい。

映像も私好みだった。画に奥行きがあるように感じられるのはモノクロのせいばかりではないだろう。雨や扉や窓といった要素の使い方がじつに上手いと思う。

オダギリの役は重要なファクターとは言えるのだが、とりわけ活躍するわけでもない。海軍少佐という設定でこの時代、殺された妻のことをこうまであからさまに引きずるものだろうかという疑問は残る。そうでないと物語が進まないので仕方ないが。催眠術の話は舞台挨拶を聞いて知ったのであり、映画を観ているときにはそのシーンが催眠術だとは思わなかった。

ユー・ジン(コン・リー)がなぜ「ヤマザクラ」をシンガポールだと報告したのかが最大の謎だ。彼女自身が「女優としてもスパイとしても十分生きた」と思ったとしても、連合国側の益にならない行動をとる理由にはならない気がする。かと言って、間違って殺してしまった(話の流れからしてたぶん)古谷の妻に対して良心の呵責を覚えたというのも違う。そうは言っても、そこが謎のままでもちっとも構わない。

ヒューバート(パスカル・グレゴリー)が最後に本を捨てるシーンが本当に切ない。ゲーテの初版本なのに!

(2023.11.3 シネ・リーブル池袋 劇場1にて)

『月』公開記念舞台挨拶付き上映 鑑賞(ネタバレほぼなし)

監督・脚本|石井裕也
原作|辺見庸『月』(角川文庫刊)
出演|宮沢りえ  磯村勇斗  二階堂ふみ / オダギリジョー
長井恵里 大塚ヒロタ 笠原秀幸
板谷由夏 モロ師岡 鶴見辰吾 原日出子 / 高畑淳子
2023年
公開記念舞台挨拶(9:00の回上映後)
登壇者|宮沢りえ  磯村勇斗  二階堂ふみ  オダギリジョー  石井裕也監督
MC|奥浜レイラ
IMG_9405

ラッキーにもチケットが買えて、9:00からの上映と舞台挨拶を見ることができた。壇上のオダギリに会うのは『658km、陽子の旅』の完成披露試写会に続いてだ。相変わらずスタイリッシュだけれども、和気藹々の楽しげな舞台挨拶というわけには行かなかった。それほど作品がとてつもなく重かったということだ。映画を見終わったとき、演者はどれだけ大変だっただろうと真っ先に思った。どんな立場の人が観ても辛い。どこかに刃が刺さる。石井監督は「撮らなければならなかった作品」と言う。キャスト陣は口を揃えて「覚悟を持って臨んだ」作品だと言う。とりわけ主演の宮沢さんは、上映後なのだからいくらでもネタバレが構わない回であるにもかかわらず、ようやく思いを絞り出すというように、言葉がなかなか出てこない。つまりは、撮影の裏話やエピソードをニコニコと話すような作品ではないのだ。ニュースで取り上げられているオダギリの発言は、重苦しい舞台挨拶を少しでも和ませようと思ってのことだ。そこばかり強調して取り上げるのは勘弁してほしい。

重い重いとは言っても、映画としてはとてもよい出来だと感じた。画づくりは落ち着いていて、奇をてらうところのないカメラワークは好感が持てる。全体のトーンは暗いし、外を映すときもほとんど陽が落ちてからだ。「月」だからという理由もある。脚本は文句のつけようがない。謎解き物ではないから、投げかけるだけ投げかけて、結果のわからない問いのようなものがあちこちに残っている。でも、あとは観る人が勝手に解釈してくださいと突き放す身勝手な作り方ではない。常々石井裕也監督というのはバランスの人だと思っているが、この作品でもやっぱりそうだとあらためて感じた。とりわけ意識的に緩急をつけているわけではないのに(いや、意識的かもしれないが)、実にバランスがよく、あっという間にエンディングに至る。144分が短く感じられる。例えば、洋子(宮沢りえ)は何を決めたのだろうとか、陽子(二階堂ふみ)はあの後どうしたのかとか、気になることがいくつもありながら、不思議と消化不良の印象がないのだ。

磯村勇斗くんの演じたさとくんは、とても難しい役だったろうと思う。とんでもないことをやらかしてしまう人物なのだが、悪人として描かれていない。なぜこの役を磯村くんに振ったのか、観る前は疑問だった。ヤクザを演じようがチンピラを演じようが、育ちの良さ(?)が出て、振り切ったワルにならない人だと感じていたからだ。でもだからこそ、さとくんは自分かも知れないと観る人は思うのだ。正常と狂気の境目などない。そもそも正常とは何か。誰が決めたのか。そのための磯村くん起用だったのだなと納得する。事実、洋子は自分の中にさとくん的なものがあるのではないかと怯え、葛藤する。洋子が内なる自分かもしれない存在と対峙するシーンは圧巻だった。

ほんのわずかな登場だったが、高畑淳子さんが良かったな。

オダギリの役は映画オリジナルだそうだが、この昌平という人物の造型はとてもよかったと思う。正直、こんなにオダギリの出演シーンが多いとは思っていなかった。テーマの本筋からは少し外れたエピソードなのに、オダギリのシーンで二度泣いてしまった。5万円なのに!

(2023.10.14 新宿バルト9、スクリーン9)

ひとつだけ本当にひっかかることがあるが、ネタバレになるので、嫌な方は下の方はご覧にならないでください。






















さとくんの刺青はとても意外だった。彼の来し方をそれとなく示したのだろうか。元はそういう裏社会にいた人物だと?原作にあるのかもしれないが、私には必要なシーンだったかなと少し疑問に思えた。

『658km、陽子の旅』完成披露試写会 舞台挨拶&映画鑑賞

監督:熊切和嘉
脚本:室井孝介 浪子想
音楽:ジム・オルーク
出演:菊地凛子 竹原ピストル 黒沢あすか 見上愛 浜野謙太 / 仁村紗和 篠原篤 吉澤健 風吹ジュン / オダギリジョー

【登壇者】:菊池凛子、竹原ピストル、黒沢あすか、吉澤健、風吹ジュン、オダギリジョー、熊切和嘉監督

一年半ぶりくらいに完成披露試写会が当たったので、昨日行って来た。もうたくさん記事はあがっているし、TVでも取り上げられたから、今更特記することもないのだが、久しぶりの生オダギリが変わらずスタイリッシュで素敵だったので、少しだけ感想を書いておく。

 上映前に舞台挨拶。MCの奥浜レイラさんに促されて、登壇者が客席右横の扉から次々に会場に姿を見せる。私は運良く右ブロックの席だったので、菊地凛子さんのドキッとするような背中や、オダギリの横顔などがよく見えた。 オダギリのお洒落な衣装も久しぶり。とてもエレガントだ。

キャスト陣の中ではオダギリは一番最後の発言者なので、自分の番が回ってくる前にたくさん考える時間があったのだろう。口が滑らかだ。最初の挨拶では猛暑のことに触れ、「激しい運動はやめましょうという中来て下さって、皆さん大丈夫ですか?映画を観て涼んで帰ってください」と観客をねぎらってくれた。

この作品が上海国際映画祭で、最優秀作品賞・最優秀女優賞・最優秀脚本賞の三冠を受賞した話がMCから何度も伝えられる。脚本の評価が高いのでとても楽しみにしていた作品だ。共同脚本の浪子想さんというのは、熊切和嘉監督と伴侶の熊切智子さんの共同ペンネームなのだと監督が話してくれた。

熊切組の常連である竹原ピストルさんによれば、熊切監督はカットのかかった後「いいっすね!」と言うのが口癖だそうだが、今回は「ナイス・カット!」という言葉があり、これは初めて聞いたとのこと。

凛子さんとの共演について聞かれたオダギリは、TVなどでも取り上げられたが、まず「皆さん観ていないんですよね?」とネタバレにならないように気を遣い、「菊地さんとのシーンを撮って、朝ドラを撮ってるので、すぐ大阪に入らなくちゃならないのに、メイクを落としたら顔の半分が蕁麻疹になっていて。でも菊地さん側はなっていなかった。菊地さんは、ひとりは欲しいですよね、効能がありますよね」と話していた。

上映後には菊地凛子さんと監督による短いティーチインがあった。

【以下ネタバレあり】
379C9406-0171-4E22-AFEA-8FE8D2FC658E

さて、肝腎の映画だが、凛子さんは熱演だ。熱演という言葉が相応しいかどうかは別として、陽子という難しい人物像を繊細に形作っていたと思う。後半に行くにつれ、陽子の体温が伝わるようになる。それまでは、この人は人間なのだろうか、もしかして亡霊なのだろうかと思うほど体温が感じられない存在なのだ。そこが上手いと思った。徐々に表情にも生気が増してくる後半は、かろうじて普通の女性に見える。

でも、陽子という人間がどういう暮らしを送っているか、なぜこんなに嫌悪感を催させるほど陰気な女性なのか、ほとんど知らされないままの前半は正直少し辟易してしまった。後半もかなり最後のほうになってから一挙に陽子が自分のことを語り出すが、時すでに遅しという気もした。わけのわからない不愉快な女性のロードムービーに付き合わされるのはゴメンだという気分を少しほぐしてくれるのが、オダギリ演じる陽子の父親の幻影だ。陽子が生きているのに亡霊のような存在だとすれば、父親は死んでいるのに生気があるという奇妙な対比。そこが面白かった。

ロードムービーとして、様々な人との出会いによって陽子は覚醒して行き、父親が自分にとってどんな存在だったのかに気づき、それと同時に自分のアイデンティティーを自覚できるまでに成長する。ただ出会う人々は悪意のない人たちばかり(浜野謙太さん演じる男だって、ちょっとサイテーな奴だが悪人とまでは言えない)で、そこはちょっと綺麗事が多すぎないか?と思った。良かったと思えたのは見上愛さん演じる女の子。このエピソードは面白かった。

陽子を車に乗せてくれる人たちについては、ほとんど説明がない。言葉の端々から、こういう事情がある人かなと想像させるだけだ。竹原ピストルさんは陽子の従兄役だと聞いていたからわかったようなものの、知らないで観ていたら、どういう人物なのかかなり後までわからないだろうと思う。説明をしないならしないで、もっと徹底すればよいのにとも感じたのは、浜野謙太さんには喋らせすぎなのではないかと思ったからだ。また、陽子が乗った何台かの車にもっと注目して観れば良かったと後になってから思う。最後のバイクが印象的だったから。

絶賛された脚本については私は正直あまりピンと来なかったが、音楽はよかった。環境音を大事にしているようで、劇伴は多くない。けれども東北の景色をバックに時折流れる曲が、日本の田舎とは思えないスタイリッシュなメロディーで、そのくせ妙に画にマッチしていてとっても素敵だった。

(2023.7.10 テアトル新宿 スクリーン1にて)

『大怪獣のあとしまつ』感想(ネタバレなし)

XT4A4325

まずプレミアイベント(完成披露試写会)で1回観ただけの感想。ビッグバジェット(たぶん)にふさわしい作り方をしていながら、三木監督らしさが失われていない、とてもバランスの良い作品だと思った。私はとっても楽しかったのだが、山田涼介さんのファンの年齢層には響くのか響かないのか微妙だなとも思えた。つまり三木流のコメディー要素がどう捉えられるかだ。

内閣の面々がコメディー要素担当なのだが、こちらはパロディーあり、悪ふざけあり、シモネタありの何でもあり状態。けれども特にそれが強調されているわけではなく、印象としてはサラリとしている。勝手なことばかりのたまう大臣達の中心にあって、優柔不断な総理(西田敏行)がうまく全体の調和を取っている。

そう、どうしようもない面々ばかりの内閣が気にならないくらい、大怪獣の現場は緊張感に満ちあふれていて、迫力がある。VFXの具合も丁度良い感じ。

こういうエンタテインメント作品だから、人を描く面は薄いのかと思えば、まったくそうではない。アラタ(山田涼介)とユキノ(土屋太鳳)との関係、雨音正彦(濱田岳)とユキノの関係、雨音正彦とアラタとの因縁、アラタとブルース(オダギリジョー)の繋がりなど、人間関係が複雑に入り組んでいてむしろ興味深いのだ。

人物造型としては、雨音正彦が面白かった。濱田岳が多彩な役者さんだということは重々承知しているけれど、今回のような性格の人物を演じるのは珍しいと思えるし、非常に面白い。また山田涼介の演技を見るのはこれが初めてだが、甘いマスクを生かさない何か秘密がありそうな役柄はよく似合っていたと思う。

大怪獣「希望」の造型は散々考えたのだろうとしみじみ思う。まず巨大だ。プレミアイベントに登場してくれたミニチュア模型ですらすでに大きい。質感もよいけれど、死んで横たわっているポーズが絶妙。くそ真面目な死骸ではなく、なにこれ?!と突っ込みたくなる滑稽さ一歩手前の、笑ってよいのか真面目顔で見なきゃいけないのか、視聴者側の困惑度を計算に入れたような見事な造型!壇上のミニチュアは、イベントが終わると、脚を1本外され、長い尾を外され、コンパクトにして運ばれていった。

小ネタがたくさんあるはずなのに、スピーディーな展開にすっかり翻弄されて、ネタが全く拾えなかった。唯一「彩雲ウォーターゲート駅」というのは見つけたが、高輪ゲートウェイ駅のパロディー?「彩雲」は『時効警察はじめました』で吉岡里帆が演じていた役名だし、何か繋がりがどこかであるのか?もしかして吉岡さん出てた?

ヲタ仲間さんと協議の結果、有名な俳優さんたちでありながら公式サイトのキャストにクレジットされていない登場人物は今のところ4人わかっている。ま○○○ ○○○さん、に○○○○ ○○さん、そ○○○ ○○○○さん、き○○ ○○○さん。でもまだまだいそう。あれ?も○○○ ○○○○さんも出ていたっけ?

オダギリは孤高の職人という役どころで、なかなかの存在感。ま○○○ ○○○さんと少しイメージが近いのだが、関係はあったのかなかったのか?

てな具合でいろいろ楽しめる映画だ!次はネタ探しをしつつ観たいなと思う。

(2022. 1. 9 丸の内ピカデリー Screen 1にて)

『花束みたいな恋をした』鑑賞(ネタバレあり)

脚本:坂元裕二
監督:土井裕泰
出演:菅田将暉、有村架純、清原果耶、細田佳央太、韓英恵、中崎敏、小久保寿人、滝内公美/森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ、押井守/佐藤寬太、岡部たかし、オダギリジョー/戸田恵子、岩松了、小林薫


オダギリの久しぶりの演技が観られることと、菅田将暉出演作品だということで、必ず観ようと思っていた映画。すいているであろう曜日・時間帯を狙って観て来た。第1週の観客動員数が1位だったそうだし、満足度も高いようだ。

明大前での出会いから恋が生まれるという設定。これもかなり楽しみだった。去年まで明大前に出勤していた私にとっては、長年馴染みの駅だ。ただ使われたのはほんの出会いのシーンだけでちょっと残念。

二人の恋の始まりから同棲を経て別れに至る5年間の軌跡を、丁寧に丁寧に描いた作品。恋を生きる二人の心の動きだけに焦点を当て、それ以外の要素をすっぱり切り捨てた脚本は、ある意味あっぱれと言えるだろう。大学生なのに、大学のことはいっさい描かれないし、友だちとの接点もほとんどない。

若いって、それだけで価値があると心底羨ましくなる。こんな恋だったら、誰しも一度はしてみたいよねと思えるストーリー。

出会いから、二人がうまく行っている間の描き方はとても良かった。ひたすら微笑ましいばかりのシーンが続く。けれども麦が就職してから別れまでの経緯はやや急ぎすぎの感もある。恋を描こうとしたのだから、別れに至るドロドロはなるべく避けたのだろうとは思う。ある意味平和な別れなのだ。映像もそれに合わせたかのように、とても素直。単調と思えるほどだった。

自分たちの恋は花束みたいに美しくて楽しくて愛しくて素敵なものだったと、二人が回想できるのなんて理想論に過ぎないけれど、菅田将暉なら、それがいくらフィクションでも納得させられてしまう。菅田は絹を大好きな麦になりきっていたけれど、有村架純はどうも麦を大好きな絹に見えなかった。この年齢の男女は女性のほうが大人びているのが常だから、強い女の子を意識した役作りだったのかもしれないが、心から楽しそうという表情が見えなかったのが気になった。

オダギリはオダギリでなくても良かったようなチョイ役。でも、オダギリで良かった(笑)
全体としては、映画にする題材かなあという疑問は残った。もっと膨らませてTVドラマにした方が楽しかったのではないだろうか。

2021.2.2 ユナイテッド・シネマとしまえん スクリーン6にて)
記事検索
ODAGIRIENNEの道草
映画感想記事索引


最新コメント
月別アーカイブ
プロフィール

すいっち

  • ライブドアブログ